毎日暗活!暗渠ハンター(旧『東京Peeling!』)

『暗渠マニアック!』著者・中級暗渠ハンター(自称)髙山の書きなぐりメモブログ。中級とは上下の概念でなくどっちつかずの曖昧な(あやしい・胡散臭い)もの、というニュアンスでご理解ください。

2056:石神井川水系

暗渠ハンター 競馬場を横切る板橋の暗渠

よくこの拙なるブログにコメントをくださるholiveさんという方に教わった暗渠を交えて、
東武東上線大山駅の北側にある2本の暗渠のことを書こうと思います。
(ここは暗渠吟遊詩人・yatoloveさんの「水徒然」でも取り上げてらっしゃいました




1 石神井川氷川町支流(仮)
この付近には、2本の暗渠があります。
一つは、「東京時層地図」にも載っている水路の暗渠。
こちらは千川上水からの分水が谷を伝って降りていくようなやつ。
2画面で見るとこれこれ(下の画像の左側)。






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これは前から気にはなっていたんですが、
今回重い腰を上げてようやく辿ってみたのでした。




千川上水からの分岐点はここ。
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写真の足元が千川上水で、奥に向かってまっすぐに流れていきます。
写真まんなかへんの、小さい白い人が立ってるところが分水点。
ここから左へと支流は落ちていくのです。
実際現地に立つともう「川とかあったでしょ?あったよねえ?」的な
美しい谷が目の前に広がります。




下流へと進んでちらと振り返ったのがこの写真。
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そう、道端に、水道局があるのです。
先に進んでみましょう。
不自然に広い道から左右に道が振られるY字路。
たっぷり妖しいですね。
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さて暗渠道はどっちでしょう?
正解は、左。
下っていくと、かなりの谷間地形を楽しむことができます。
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まあこっちの川はあまり暗渠的に顕著ではないので、
さくっと済ませちゃいましょう。


その先板橋第九小学校の横を抜け、石神井川の彎曲部分に合流。
古地図だとまっすぐ合流ですが、
現場の雰囲気だと右にくいっとまがってこっちの流路もありかな、と思います。
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こちらは、千川上水の余水吐、といった意味合いの水路だったのでしょうか。
余水があったかどうかはちょっと疑問ですが。








2 石神井川板橋競馬場支流(仮)
さて今日のメインはこっち。
冒頭の、holiveさんとyatoloveさんのご指摘のやつ。


たぶん石神井川に落ちていく直前の経路は同じ。
しかし、ここに西から流れ込んでくるんですよね。
下流から辿ります。
この暗渠は写真の足元からこの正面のマンションにぶちあたって左折。
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ぐるっと敷地を回り込み、この緑色のガードレールの右側をいく、と。
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そして不自然に歩道が狭くなる箇所を左に。
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(上流から下流を見ています。すなわち下流から見たら上流は「左折」)




その先には古いクリーニング屋さん。
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薬局の角をまた左に曲がって、ここを右?
(写真では正面の、斜めに傾げて切り込む区割り)
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このブロックを上流に、コの字ウォークで回り込むと、キタ。
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明確な、それでいて静かな、感動的な、暗渠の光臨。
なんとその傍らには銭湯「一の湯」まで!
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いやー鄙びてて好みの暗渠だなあ。
(好みの暗渠に出会うとしゃがむ癖)
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道を挟んで上流にも延びています。
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四角い蓋の前後は、うすーく凹んだ溝が続くので、
これが主たる水路かと思ってしまいますが、
蓋の下にもU字溝が通っているようなので
この薄い凹みはどうやら「U字溝のふた」のようですね。




も1ブロック続いて、最後にあらわになるのはここ。
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さすがにこの先は進入できないのでさらにコの字ウォークを試みますが…。


崖。
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しゃーない、これを登って、さきの暗渠の続きを覗きこみます。
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続いている、ように見えます。
この崖下が、始点なのかな。
しかしここで湧いていたか、それともこれら周辺住宅の排水路だったかは不明。




それにしてもこの崖。
昔はどんなだったんかなと「東京時層地図」で調べてみると、
なんと板橋競馬場のトラックの真上。(赤丸が上の写真の現場)


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…トラックがこんな崖の上ってありえんだろう、
全部この高さならわかるけど、
トラックをぐるっと回った反対側は、さっきまで辿ってきた低い土地だから。
いったいこれ、どういうこと?


と思って近くの図書館に入ったら、しっかり答えが見つかりました。




それは『創立50周年 中板橋のあゆみ』(中板橋町会)に載っていた記事。
これによると、
「この馬場の特色は、
日清・日露の苦い経験から平坦なコースでなく二か所に大きな起伏をつけ
馬の強脚・俊足を試すにはうってつけで、他の馬場よりもすぐれており…」

とあります。




へえー‼わざと起伏を付けたトラックを作ったんですね。
かなり特異なトラック(現代比)だったのですね…。






面白いエリアでした。
改めて、教えてくださったholiveさまに感謝です。












…おまけ。
帰りに中板橋方面にも行ったのですが、
石神井川近くの本屋さんの脇にこんな「蓋暗渠」が。
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どこからながれてくるのやら…。















暗渠ハンター やとじぃさんに教わった、あげ堀かと思ってた支流

2014最後の更新は「やとじぃ」さんの話で〆るとしますか。



暗渠者の間では「練馬の暗渠にめっちゃ詳しい」と評判の
「やとじぃ」こと平田英二さん。
その方のwebを拝見していて、どうしても気になる場所がありまして。



そのやとじぃさんのブログによると、
「練馬高野台の近くの八幡神社のあたりにある流れは、近くの池からの湧水である」
とのこと。



こう書いてしまうとなんでもないんですが、
この場所、この地形からして
てっきり石神井川の揚げ堀かと思っていたんですよね。
それだけに衝撃が大きくこれはもう直ぐにでも行かねば! と。



で、行ってきました。
神社から下流はまさに「揚げ堀」的な暗渠がたくさん残っています。
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だけどこれ、あげ堀じゃなかったんですね…。



やとじぃさんの情報を頼りに水源方面をたどります。
が、八幡神社から上流の流れはほとんど痕跡はありません。



それでも地形を頼りにたどっていくと、果たして。
水源地であった池の跡・市杵島神社。
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なんか「じぶんの頭の中の誤字脱字」を上書きできたようで清々しい気分。



その後、ある方のお計らいにより
武蔵野市水の学校」にて講師をなさっている
平田(やとじぃ)さんご本人にとうとうご挨拶することができ、
こちらも永年の想いを果たした気分。





やとじぃさんに敬意を表し、
私の中では「石神井川 高野台やとじぃ支流」と呼ぶことにしようっと。



********************************
みなさま、本年もご贔屓いただきまして、まことにありがとうございました。
よいお年をお迎えください。


暗渠ハンター ふと見つけたアリバイ。滝野川3丁目支流

以前、滝野川3丁目で出会った川跡らしきものについてこんな記事を書きました。
(記事中の「3」の章です)



この記事では「ホントに暗渠なのかどうかちょっと自信がない」っぽいテイストで
書きましたが、
先日家にある資料を整理していたら決定的な「アリバイ」を見つけることができたので、
覚書代わりに記しておこうと思います。



北区で買ってきた小冊子、
「北区の歴史 はじめの一歩 滝野川西地区編」(北区中央図書館)。



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これのP33に
「滝野川にあった陸軍の工場」(東京府北豊島郡滝野川村 1911年 逓信協会)
と題された地図が載っていました。
それが下。



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青く丸で囲ったところ。水みちが描かれています。
これがまさにさきの記事で「石神井川 滝野川3丁目支流(仮)」としたところでした。



滝野川3丁目支流(仮)は、白塗りにされた陸軍工場に吸い込まれて
その先おそらく石神井川へと合わさっていきます。



はあ、なんかすっきりした。
でもこんな身近に証拠が埋もれていたという自分のフシアナ加減に
少々呆れてはおりますが…。





記事中の地図、再掲しておきます。





より大きな地図で 滝野川3丁目支流 を表示


暗渠ハンター 板橋湧水跡めぐり 2

前回に引き続いて、
「いたばしの河川」(板橋区教育委員会)の「無名の川」で取り上げている川や湧水の断片を訪れていきましょう。今回は「上板橋」エリアです。



地図中の赤いラインが今回の「無名の川」。





より大きな地図で 練馬暗渠巡りの旅 を表示







2 上板橋あたり





2‐① 子育て地蔵脇



これです。
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上板橋駅から南下すること5分ほど。
商店街の一本裏の道に唐突に現れます。
それこそ、どこからきてどこに行くのかわからないような。
これについて「いたばしの河川」ではこう書いています。
『子育地蔵付近を源として五本欅の西側を通り、田柄川に流れ込むどぶ川』。
ちなみに五本欅というのは川越街道沿いにある、文字通り欅の大木が5本残っている場所の通称です。
このあたりの地形はわりとまっさらで谷頭らしいものも見当たらないんですが…。
詳しい状況を地形図で確認してみましょう。
東京地形地図さん、いつもありがとうございます。



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オレンジの円がこの子育地蔵横の水路があるエリア。矢印がこの水路です。
確かに、うっすら凹んでいますね。
なるほどー。
まあ湧水がなかったとしても、このあたりの水をさわーっと集めていたに違いありません。
再び「いたばしの河川」をみると
『古老の記憶でもこの川は早くから下水として用いられていたようで、この川の水を何かに用いたという話は聞くことができなかった』
と記述されています。
もっぱら排水路として機能していたようですね。



では反対側(出口)のビジュアルもどうぞ。
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2-② 茂呂山下



こちらは田柄川でなく石神井川の支流ですね。
いや支流というよりおそらく石神井川の水を一旦揚げて周囲に回した
「揚げ堀」的な用水路だと思います。
この流れは石神井川の右岸、
小茂根5丁目の大山高校あたりを石神井川と共に取り囲むようなルートを取っています。
この流れのさらに南に聳えるのが茂呂山。
茂呂山遺跡として板橋では大変有名な歴史物件。…だと思います。



下流から辿って行きます。台橋のあたりが石神井川との合流ポイント。
しかしあまり流れの痕跡が残っていない道が続きます。
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でも大丈夫。ここに「東京時層地図」にはしっかりと水路が描かれています。
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やっと出てきました、車止め。形而上暗渠からの脱出です。
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左横にある、いかにも「水路へと降りていくような階段」が
暗渠の現実感をさらに高めてくれますね。



車止めをするりと抜けて中に入っていきますと…。
ナガミヒナゲシの花。ここを訪れたのは風薫る5月の半ばのことでした。
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なーんて花など愛でているうちにこの暗渠道はすぐ終わってしまいます。
ああ、もう出口ですよ。
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このあとはまた形而上の暗渠となって湿気味橋あたりの「取水点」まで。
それにしても「湿気味(しっけみ)」。味わい深い名前だなあ。
湿気味橋の下にはおおきな合流口が空いていました。
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では、次回は志村地区まで飛んでいきます。


暗渠ハンター 遊泉園跡とそのまわりのことなど

前回は遊泉園にまつわるお話でしたが、
今回は現地の様子を。





より大きな地図で 杉並以北でまとめてみよう を表示





1 遊泉園跡



またまたはじめから横道にそれますが、
私はこの日、北耕地川を上流に辿って現地にアプローチ。
その途中でまた日曜寺の橋跡をチェック。



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そうそう、先日図書館で見た板橋区教育委員会による「文化財シリーズ第56集 写真は語る」に、
昭和初期の日曜寺の写真が載っていました。
ちょっと著作権上問題があるかと思われますので写真の転載は控えますが、
当時のこのお寺の周りは一面田圃。
そこにぽつんと日曜寺があり、
正面にはこれとほぼ同じかたちの橋がかかっていました。
お見せできないのが残念。



本筋にもどります。
石神井川がかくんと直角に流れを変えるその突端内側に、
遊泉園はありました。この向こう側です。
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しかし。乗りこんでいってさんざん歩きまわりましたが、
痕跡をみつけることあたわず。
跡地はこんなふうになってます。
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ようやく一基の車止めを見ることができましたが、
これが暗渠かというと、うーん…。
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遊泉園の跡地には、
福泉寺というお寺が昭和17(1942)年に移転してきます。(前出「いたばしの地名」より)
それが今でもありますね。この写真の右側のところ。
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移転・造成にあたっては結構な量の盛り土をしたのかも知れません。



さーてほんとに跡かたもなかったので、
いくつか周辺の見どころもご紹介することにしましょう。





2 中板橋駅前5連式直列マンホール



落胆しながら中板橋駅方面に歩を進めていると、
中板橋25-5、駅前至近距離にこんな路地を発見。
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すっかり「道は細いほうに行け」という暗渠者の生態が染み付いてしまっているので
吸い込まれるように入っていきます。



おおー、マンホール多発地帯ですね。
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惜しい!おしくらマンホールもどきがありました。
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なかなか真性おしくらには出会えないんだよねーなかなか。



などと思いながら突き当たりの角を曲がって進んでいくと…。
うえっっっ!! ナンダコレ…。
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5つのマンホールが、すばる座状というより
ほとんど直列に並んでいます。



しかもその中のひと組は「真性おしくらマンホール」ではないですか!
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これはすごいものを見た!!
(私のデジカメ、写した順に4ケタの数字が自動的に割り振られるのですが、
帰宅して整理してたらこの写真がなんと
「7777」番!さらにすげえ!!←はい、完全に私サイドの話ですみません;;;)



これは中板橋の住民の方々は大いに誇っていい物件だと思います。





3 左岸のあげ堀



最後は、違う日に撮った写真だけど近いからここにまぜちゃおう的なところ。



この近辺の右岸には、あげ堀がありました。
上流は桜台の安養院というお寺のあたりです。
安養院の中にはこのあげ堀跡が今でも残されています。



さてあげ堀というからには
石神井川の水を田圃の用水に使うために分水しているわけですが、
その分水地点から安養院の間で田柄川と交差しています。
この交差がどんな具合だったのか(立体交差?事実上合流?)は、
また回を改めて考察したいと思いますので今回はさくっとスルー。



地図によってはこのあげ堀のことを堂々と「田柄川」と書かれていたりもするし、
「文化財シリーズ第52集板橋区河川調査報告書 いたばしの河川」(板橋区教育委員会 S61 年)には両者きちんと区分されて書かれていたりします。
まあそんなふうに、このあげ堀は田柄川である・とも
田柄川とは別物である・とも言える
アンビバレンツな水路なわけです。



その「田柄川と呼ばれることもあるあげ堀」はこんな姿で最後を迎えます。
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このあと一旦石神井川に合流。川の壁面に合流口がありました。
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さらにこのあとあげ堀は下流へと続きます。
現在は雨水をまめに吐きだすために上の写真のように石神井川との合流口が設けられていますが、
昔はここでは敢えて石神井川には接続させなかったのだろうと思います。
なぜなら、あげ堀とは
【一時的に本流を堰き止め、そこで得られた圧力で本流より標高の高い土地に水を流していく】
というある種の加圧装置ですから。



このあとあげ堀は川越街道を横切り、
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環七沿いを北上し一旦環七の西側に出て、
直角に進路を変えて石神井川合流地点へと向かいます。
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ここは過去の地図ではこんなふうになっています。
(「東京時層地図」より転記)
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環七を東に抜けた後はようやく暗渠らしい佇まいになって
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この先で合流。
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合流地点の対岸が、遊泉園跡地となります。
おお、話のはじめに無事に戻ってきたw



最後に久々にnamaさん的にこの日たべたゴハンのことなど。
この日は東武東上線のときわ台駅に初めて降り立ちました。
食事ができる大衆食堂を探して南口に。
そこにあったのがとんかつと定食の「三笠」です。
飛び込みですが、思い切って入ってみましょう!
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日替わり定食である「コロッケととんかつ定食」750円を注文。
ラードの香りのするコロッケや、
極めてふつうの(←褒め言葉)とんかつがビールに合う良店でした。
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